倉本和子はアジアにおける日本の拡張主義がピークとなった頃の1927年に満洲の大連で生まれ、そこで成長した。大連とその隣の旅順港は当時の日本植民地、遼東半島の重要な基地であり、ロシアが建設して日本に譲り渡した鉄道の終点地でもあった。1905年、日露戦争が終わって間もなく、彼女の祖父が日本警察官として大連に赴任したが、その頃は国民がこぞって日本民族至上主義を信じ、西洋帝国主義からアジアを救うのが日本民族の聖なる使命であると固く信じていた。満洲移民の三世であった倉本もその熱に刈られて17歳の時に日本赤十字社の看護婦を志願して参加したのだったが一年後、家族と共に天皇のラジオ放送を聞かなければならなかった。 「----- 耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び -----」 日本は無条件で連合軍に降伏したのだった。
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「満洲の遺産」は植民地大連での家族の生活に始まり、戦後のロシアと中国国民党、共産党が満洲地域の占領を争うまっただ中で 「置き忘られた民」として辛うじて生き延びた経験、続いて敗戦に荒廃した日本への引き揚げ、などを語る体験談である。統治者の圧制に喘ぐ住民、それに対照して思慮なき植民地移民の創り出した贅沢な文化などが鋭く描き出されている。
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或る時は内面から主観的に、或る時は外面から客観的に、自分の生まれ育った文化環境を反省探求したこの回顧録は植民地社会で過ごした成長期、内乱に引き裂かれた終戦直後の満洲、まだ見ぬ 「故郷」 日本への送還、そしてその日本で著者は何を見、何を考えたか、などを語っている。
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著者、倉本和子は現在アメリカ、オレゴン州、オンタリオ市に二世である二度目の夫と暮らしている。1979年から1992年に退職する迄オンタリオ市の短大及び高校で日本語教師をつとめ、退職後復学してオレゴン州立大学で学位を取っている。